音楽と私 la musica ed io

 

三浦 幸未知 みうら ゆきみち 

 

 

 

静岡県島田市出身。

音楽との出会いは3歳のころ、テレビ音楽番組で歌っている歌手を真似ていたと母から聞いたのが始まり。

その後、特にピアノを習ったり何か音楽に関する習い事はしていなかったのだが、小学校3年生の時、市の音楽鑑賞教室で市民会館に来たNHK交響楽団の生演奏を聴いて本格的に音楽に目覚める。

特にオーボエとチェロの音に興味を持ったのを覚えている。

それからは学校の音楽室にあるピアノ(グランドピアノ)に虜になり、昼休みには音楽室へ行ってはピアノを自己流に弾いていた。

また、音楽室には使われていないチェロがボロボロの布カバーに覆われて楽譜棚の上に放置してあり、弦は切れていて弾ける状態ではなかったのを覚えているが、それから何故かチェロが頭から離れなくなっていた。

小学校の卒業アルバムでは将来のの夢をチェリストと書いていて、タキシード姿にチェロを持った自分の姿を描いたのを覚えている。

その頃、平日毎朝5時半にNHKFM放送で流れていた「朝のバロック」という音楽番組でバロック音楽と共に起床して支度をしたものだった。

日曜日の朝6時半には「ブラスの響き」という音楽番組が流れ、初めて吹奏楽という存在を知ることになった。

他にも、ものごころついた頃から家にあった「名曲アルバム」と題したLPレコードの曲集があり、毎日擦り切れるほど聴いていた。

吹奏楽の存在を知ってから、実際に楽器に触れてみたくなり、毎日楽器図鑑を眺めては演奏する真似をしていた。

そして中学へ入学して即座に吹奏楽部へ入部。

オーボエを吹きたかったのだがオーボエはなく、何故かクラリネットを吹くことになった。

それでも毎日毎日、明けても暮れても吹き続けていた。演奏することの喜びを初めて知ったのが、この頃である。その頃から将来は音楽で生活して行きたいと心に決め始めていた。

しかし、小さい頃から習い事をしてきたわけではなく、ただただ好きなだけでがむしゃらにやってきたのだが、どうしても音楽と一生共にしたいと心に決めた。

高校受験をひかえていたが、音楽の熱は冷めるばかりか、どんどん高まるばかり。

それなら、高校は音楽科を志望した。

それは大変だったが、「好きこそ者の上手なれ」という言葉がこの時にはピッタリだった気がする。

入学してからは毎日毎日大変だった。

進むべき道は音楽大学への進学。そしてずっと音楽と関わっていくための勉強をしなくてはならなかった。

やはり小さい時から習っていなかったピアノの試験やソルフェージュや聴音などなど、自分の専攻実技の他にもやらなくてはならないことが山のようにあって、もちろん数学や国語など学科の勉強もしなければならなかった。

やはり好きとはいえ、挫けそうになることもしばしばだったが、そんな中、授業で初めて観たオペラに感激を受けた。その頃、クラリネットではどうしても表現しきれない自分の音楽に嫌気がさしていた。オペラに出会い、益々声の魅力に惹かれていくことになる。授業が終わるとレッスン室に声楽科の友人とイタリア古典歌曲を日が暮れるまでよく歌っていたことを思い出す。

しかし、ただ流されるままにクラリネットを続け、大学受験することになる。しかしもう、クラリネットを将来、一生吹いていこうとは思えなくなってしまっていた。

とはいうものの受験はしなければならず、一応受験をするのだが、案の定失敗に終わる。

しかし、この時僕には何も悔しさは残らなかった。

もう気持ちはオペラ(声楽)に気持ちが傾いていたからだった。

逆に受験に失敗したことが、新たに自分のやりたい事(声楽)への意欲を持たせることになった。

それでも、両親やクラリネットの先生からは続けなさいと言われ続け、浪人生活も夏まではクラリネットのレッスンに通っていた。

しかし、両親やクラリネットの先生には内緒で、苦手だったソルフェージュを習いに行っていた声楽の先生に相談しながら声楽のレッスンをしてもらっていた。

この時がその当時、一番の幸せを感じていられる時だった。

夏が過ぎ、また受験の準備に入らなくてはならなかったのだが、どうしたら皆を納得させて自分のやりたい声楽で受験できるかを一生懸命考えていた。

その当時、僕が勉強した音楽大学には男子の器楽学科受験生だけに声楽学科を併願できるシステムがあった。ソルフェージュの先生はその音楽大学卒業だったので、相談し合いながら、もうこれはそうするしかないと心に決めた。

まずは両親を説得し、次にクラリネットの先生にそのことを告げた。

クラリネットの先生は別の音楽大学卒業だったので、もう話をした途端にさじを投げたようなレッスンになった。

申し訳ないとは思いつつも、これでやっと自分の本当のやりたい音楽が出来ると心の中では喜んでいた。

それから受験まで半年を切っていたが、本格的に声楽のレッスンを開始することにした。

もう、声楽で入学したかったので必死だった。

そして、大学へは声楽学科で入学することができた。

ここから本当の自分のやりたい音楽と向き合うことになるのだが、一筋縄ではいかないのであった。

何もわからず、ただ必死に歌って入学をしたのだが、いざ入学してみると専門的に声楽をやってきた同期生に比べ、思うように大曲は歌えないし、声について深く知れば知るほど自分の本当の声はどんな声なのか疑問を持つ毎日。それなりに毎回の試験はこなしてきてはいたが、そのうちだんだん自信がなくなってきて、卒業試験では高音を外してしまうという、初めての経験をした。

それから本当に絶望のドン底に突き落とされ、一時は歌う事を諦めてしまった。

その間、約三年間は全く声を出すことはなく、サラリーマンとしてただひたすら音楽業界の裏方に徹していた。

そんなある日、やはり同年代の声楽家のタマゴ達が頑張っている姿を毎日嫌というほどみせつけられて、やはり眠っていた歌への想いが再びこみ上げてきた。

そして、一大決心をし、再び声楽の世界へ足を踏み入れることになるのである。

経歴:

静岡県島田市立幼稚園 卒園

静岡県島田市立第三小学校 卒業

静岡大学教育学部附属島田中学校 卒業

常葉学園橘高等学校音楽科 卒業

武蔵野音楽大学音楽学部声楽学科 卒業

イタリア・ペルージャ外国人大学 ディプロマ修了

 

 

音楽歴 : 

約三年間のサラリーマン生活を経て、05年より一年間イタリアへ留学。その間ペルージャ外国人大学に在籍し、イタリア語をはじめ、イタリアの歴史や文化を学ぶ。同大学主催のコンサートではイタリアオペラや日本歌曲などを披露し、文化交流を深める。ダリオ・オペラ・カンパニー・ギルド&アッカデミア修了。06年ローマ近郊の教会にてモーツァルト生誕250年記念コンサート「戴冠式ミサK.317」のソリストとして招聘される。08年イタリア文化会館プッチーニ生誕150年記念オペラ「ラ・ボエーム」ハイライトのパルピニョール役でオペラデビュー。09年千葉市民オペラ公演モーツァルト「フィガロの結婚」のドン・クルツィオ役に出演。09年ダリオ・オペラ・カンパニー・ギルド&アッカデミア旗揚げ公演ヴェルディ「リゴレット」のマッテオ・ボルサ役に出演。11年日仏笹川財団主催レクチャーコンサート第21回ラヴェル「子供と魔法」、La musica luce主催公演「プッチーニ・オペラ・ガラ&オペラ<ジャンニ・スキッキ>ゲラルド役」に出演。14年ART&HEART PROJECTシルエットオペラ公演ヴェルディ「椿姫ハイライト」のアルフレード役に出演。また横浜および故郷の静岡にて東日本大震災チャリティーコンサートに出演。TBS系列東日本大震災「絆プロジェクト」では赤坂サカスのラジオ特設会場に於いてゲスト出演し、被災地への応援メッセージと歌を披露する。10月には旧東京音楽学校奏楽堂に於いて初ソロリサイタルを開催。16年オーストリア大使館/オーストリア文化フォーラム・イタリア大使館・日本モーツァルト協会後援によるモーツァルト生誕260年&日伊国交樹立150年記念コンサートにてモーツァルト「戴冠式ミサK.317」のソリストをつとめる。イタリア・ソレント市にてソレント市後援「日伊国交樹立150年ソレントジャパンフェスティバル2016」に出演し、日本歌曲とイタリアカンツォーネやオペラを披露する。「第18回社団法人日本歌曲振興会日本歌曲コンクール声楽部門入選。第13回全国叱られて歌唱コンクール入選。第23回コンセール・ヴィヴァンオーディション合格および会員。町田シティオペラ・ソリスト会員。

白川裕望、平良栄一、福井 敬、渡邊 誠、A.オルロヴィッツ、L.ラッファエッリ、S.ベルトッキ、A.クピードの各氏に師事。

 

NOTIZIE!!

新着情報

2017.09.02動画muove更新いたしました。

2017.08.29情報informazioniを更新いたしました。

2017.08.08情報informazioniギャラリーgalleria②を更新いたしました。 

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